やっと僕の人生が始まった
岡 幸平
私は高知県で生まれ、現在34歳です。
社会人になってから愛媛県松山市で介護福祉士として、病院で介護の仕事をさせていただいています。
書いてみると順風満帆、当たり前の人生のことのように思われるかもしれませんが、実は今のように普通に過ごしていた訳ではありません。
小学生の頃は、椅子に座ることも出来ず、授業中もウロウロして叱られる日々でした。
授業もあまり理解が出来ず、虚しく毎日を過ごしていました。
自分では普通に接しているつもりなのに、いじめられたり、意味なく嫌われたり…
自分が本当に相手に伝えたいことが伝わらない…
何か聞かれてもどう答えていいのかわからない…
誤解をあたえやすいのか、色んな人に理解をしてもらえずとにかく辛い子供時代を過ごしました。
成人して愛媛県に行ってからも、苦労の連続でした。
例えば起床だけをとっても、どんなに目覚まし時計をいくつ掛けても一人で起きれず26歳まで毎日家族に電話で起こしてもらっていました。
バイトや他の仕事に就いても、全てにおいて上手くいかず、なかなか長く勤めることが出来ませんでした。
自分の気持ちとは裏腹に、辞めざるをえなくなっていました。
その後は、少ない貯金を切り崩しながら生活をしていましたが、それも底を尽きかけていた頃、母親から兵庫県明石市の“まざーぐれいす“の話を聞きました。
始めは「あなたが上手くいかないのは霊に取り憑かれているから祓ってもらってきなさい」と言われました。
まるで凄腕の霊媒師に会えるイメージで恐る恐る“まざーぐれいす”を父に連れられて訪れました。
初めて訪れた日がちょうど27歳の誕生日でした。
「これで本当に上手くいくのか?オレは普通の人間になりたいだけなんだ!」と思っていました。
それが由利さんとの初めての出会いでした。
初めて会ったのに、その日が誕生日と知った由利さんの機転で急遽私の誕生日を祝ってくださいました。
それが3歳以来初めての誕生日祝いでした。
(それから毎年誕生日を“まざーぐれいす”でお祝いしてくださるのが恒例となっています。)
実際に私が経験している事は母の言葉とは全く違いました。
“まざーぐれいす”で体験した事は想像を超えるものでした。
自分には“自分”というものがなく、浮き草のように漂っていたと思います。
気長に聴いていただいた後、自分には強い思い込みや妄想があり、一度も心の内と向き合っていないことに気づきました。
“まざーぐれいす”は悪魔祓いの場所ではなかったのです!
祈祷やお祓いの類ではありませんでした!
もちろん壺も水晶も売っていませんでした!笑
今となっては笑い話です。
由利さんはただ長い間私が心に溜めていた気持ちを聴いてくれました。
「大変な中、よくここまで生きてきてくれたね。」とたくさん褒めてくださいました。
生きてきた中で今までにこんなに褒め続けてくれた人は初めてでした。
今でも小さな発見や気付きを我がことのように喜んでくださいます。
“まざーぐれいす”を訪れた次の日からとても不思議なことに、毎朝自分で起きれるようになりました。
翌月再び訪れた時は、あと一カ月で高知に帰るか?
ホームレスになるか?の選択を迫られる極限状態でした。
その時、由利さんと一緒にパソコンで愛媛県での職探しから始め、履歴書・初めての職務経歴書を提案してくださり作成しました。
スタッフの皆さんにもサポートをしていただき、すぐに展開がありました。
松山に帰った後、あれ程困難であった就活の採用が即決まり、しかも正社員でした。
希望であった正社員の職場ですが、
当時は今日も続いた…
一ヶ月続いた…
三ヶ月続いた…
と、祈るような気持ちで日々を過ごしていました。
“まざーぐれいす”に通い続けていることから、自分でも人生が変わってきているのがわかりました。
今も同じ病院に勤めております。
現在8年目で、患者さんや病院のスタッフさんから「岡くんなら大丈夫ね!」と、周りから頼りにしてくださるようになりました。
現在は介護主任を務めさせていただいています。
今まではバイトをしていてもいつ辞めさせられるかヒヤヒヤしながら勤めていたのが嘘のようです。
こんな不安定だった自分が、責任ある仕事に就けるようになっていることがありがたいなと、しみじみ思います。
“まざーぐれいす”と出会っておかげさまで、毎日をhappyに過ごさせていただいています。
2ヶ月に一度“まざーぐれいす”を訪れています。
いつも「ただいま!」とふるさとに帰る気持ちでドアを開けます。
今だに新鮮で楽しみです。
これからもよろしくお願いいたします。
社会人になってから愛媛県松山市で介護福祉士として、病院で介護の仕事をさせていただいています。
書いてみると順風満帆、当たり前の人生のことのように思われるかもしれませんが、実は今のように普通に過ごしていた訳ではありません。
小学生の頃は、椅子に座ることも出来ず、授業中もウロウロして叱られる日々でした。
授業もあまり理解が出来ず、虚しく毎日を過ごしていました。
自分では普通に接しているつもりなのに、いじめられたり、意味なく嫌われたり…
自分が本当に相手に伝えたいことが伝わらない…
何か聞かれてもどう答えていいのかわからない…
誤解をあたえやすいのか、色んな人に理解をしてもらえずとにかく辛い子供時代を過ごしました。
成人して愛媛県に行ってからも、苦労の連続でした。
例えば起床だけをとっても、どんなに目覚まし時計をいくつ掛けても一人で起きれず26歳まで毎日家族に電話で起こしてもらっていました。
バイトや他の仕事に就いても、全てにおいて上手くいかず、なかなか長く勤めることが出来ませんでした。
自分の気持ちとは裏腹に、辞めざるをえなくなっていました。
その後は、少ない貯金を切り崩しながら生活をしていましたが、それも底を尽きかけていた頃、母親から兵庫県明石市の“まざーぐれいす“の話を聞きました。
始めは「あなたが上手くいかないのは霊に取り憑かれているから祓ってもらってきなさい」と言われました。
まるで凄腕の霊媒師に会えるイメージで恐る恐る“まざーぐれいす”を父に連れられて訪れました。
初めて訪れた日がちょうど27歳の誕生日でした。
「これで本当に上手くいくのか?オレは普通の人間になりたいだけなんだ!」と思っていました。
それが由利さんとの初めての出会いでした。
初めて会ったのに、その日が誕生日と知った由利さんの機転で急遽私の誕生日を祝ってくださいました。
それが3歳以来初めての誕生日祝いでした。
(それから毎年誕生日を“まざーぐれいす”でお祝いしてくださるのが恒例となっています。)
実際に私が経験している事は母の言葉とは全く違いました。
“まざーぐれいす”で体験した事は想像を超えるものでした。
自分には“自分”というものがなく、浮き草のように漂っていたと思います。
気長に聴いていただいた後、自分には強い思い込みや妄想があり、一度も心の内と向き合っていないことに気づきました。
“まざーぐれいす”は悪魔祓いの場所ではなかったのです!
祈祷やお祓いの類ではありませんでした!
もちろん壺も水晶も売っていませんでした!笑
今となっては笑い話です。
由利さんはただ長い間私が心に溜めていた気持ちを聴いてくれました。
「大変な中、よくここまで生きてきてくれたね。」とたくさん褒めてくださいました。
生きてきた中で今までにこんなに褒め続けてくれた人は初めてでした。
今でも小さな発見や気付きを我がことのように喜んでくださいます。
“まざーぐれいす”を訪れた次の日からとても不思議なことに、毎朝自分で起きれるようになりました。
翌月再び訪れた時は、あと一カ月で高知に帰るか?
ホームレスになるか?の選択を迫られる極限状態でした。
その時、由利さんと一緒にパソコンで愛媛県での職探しから始め、履歴書・初めての職務経歴書を提案してくださり作成しました。
スタッフの皆さんにもサポートをしていただき、すぐに展開がありました。
松山に帰った後、あれ程困難であった就活の採用が即決まり、しかも正社員でした。
希望であった正社員の職場ですが、
当時は今日も続いた…
一ヶ月続いた…
三ヶ月続いた…
と、祈るような気持ちで日々を過ごしていました。
“まざーぐれいす”に通い続けていることから、自分でも人生が変わってきているのがわかりました。
今も同じ病院に勤めております。
現在8年目で、患者さんや病院のスタッフさんから「岡くんなら大丈夫ね!」と、周りから頼りにしてくださるようになりました。
現在は介護主任を務めさせていただいています。
今まではバイトをしていてもいつ辞めさせられるかヒヤヒヤしながら勤めていたのが嘘のようです。
こんな不安定だった自分が、責任ある仕事に就けるようになっていることがありがたいなと、しみじみ思います。
“まざーぐれいす”と出会っておかげさまで、毎日をhappyに過ごさせていただいています。
2ヶ月に一度“まざーぐれいす”を訪れています。
いつも「ただいま!」とふるさとに帰る気持ちでドアを開けます。
今だに新鮮で楽しみです。
これからもよろしくお願いいたします。